【由 緒】
嘉吉2年(1442)真道達源長老により開創された。
時は流れ、慶長年間、京都二条城で法華経の講説に招かれるほどの高僧であった徳外玄隆大和尚は、元和8年(1622)中津川坂本の大林寺を中興開山し、日々盛んに仏道布教に励んでいた。その高い徳望は近隣の村々に及び、請われて布教伝導に廻っていた。
徳外和尚の一番弟子であった、青山玄秀大和尚は、明暦2年(1656)竹折村にあった庵を「瑞現寺」として開法再建して、師匠の徳外大和尚を開山として勧請し、自らは2世となって伽藍の整備、檀信徒の布教を始められた。
明治9年(1876)18世巨海宗山大和尚の代に不慮の火災によって、伽藍はことごとく焼失してしまった。宗山和尚は、渾身を傾け本堂と仮庫院を建て、代を譲られた。
第2次大戦後、昭和40〜50年にかけて20世重興大禅英明大和尚によって、本堂の増改築、庫裏、鐘楼、書院の新築、山門の移築など、漸く復興の夢を果たし、羅災から百年を経て伽藍は旧に復することができたのである。なお、山門は織田信秀公(信長の父)の居城であった名古屋末森城の櫓門を移築したものである。
【現 況】
恵那三十三観音霊場、唯一の準提観世音菩薩を安置している。