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last up date
2006/06/07-13:54:40
寺院紹介/fp

太平山 永昌院

住職:高橋 定申

【由 緒】
 当寺は4代将軍徳川家綱の時代、寛文10年(1670)に開創された。
 美濃和紙の里(美濃市牧谷地区)に多くの檀家があり、その交通の要所であった安毛峠に建立された。
 本寺龍泰寺20世、鰲山正雪大和尚を開山に拝請し、2世呑応和尚は諸堂什具等を完備し、中興となる。16世定応和尚が江戸時代末期の慶応年間に、現在の本堂を再建し、再中興となる。
そして20世慧定和尚は庫裡、奥書院等を再建して、重興となる。また同和尚の一番弟子に、高橋竹迷和尚(明治16年岐阜市に生まれ、12才で慧定に就いて当寺で得度)がいる。竹迷は、永平寺傘松全発行の『天よりの声』中島繁雄著の主人公で、幸徳秋水・芥川龍之介・竹久夢二らと縁を結び、明治末年から、大正・昭和初期にかけて、曹洞宗の文人として引導法語等の書館を数多く出版している。
 当寺21世定道和尚は、第2次世界大戦で中隊長としてフィリピンで、4年間戦争を経験する。戦後は、岐阜県宗務所長・宗議会議員・教化部長等を務め、また諸堂再建復興などを行ない、再重興となる。

【現況】
 寺は板取川最下流が長良川に合流する地点の山の中腹にある。眼下には長良川が、南方には桜の名所小倉山が眺望でき、景色の良い、自然に恵まれた寺である。
 毎夏の御霊祭り盆踊り大会、12月大晦日の除夜の鐘には、境内いっぱいの参拝者で賑わう。

【交 通】
 岐阜バス牧谷線安毛キャンプ場下車徒歩五分。
 長良川鉄道美濃市駅よりタクシーで約10分。