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2006/06/07-14:13:53
寺院紹介/fp

五臺山 大亀寺

住職:戸田 文隆

【由 緒】
 享禄年間(1530年代)祐光城主長井長弘により文殊院文殊堂が建てられた。永禄10年(1567)織田信長が稲葉山城を攻め、居城を清洲城から稲葉山城(岐阜城)に移した。この時、祐光城も信長により攻められ、この地の文殊菩薩像は岐阜(現在、常在寺に安置)に移された。
その後、170余年にわたり堂の再興無く、文殊という地名のみが残った。村の由来を忘れえんが為に、照空寺(岐阜県3番)中興の玄洞文亀和尚は享保6年(1721)に隠居し、文殊堂の再興を祈願した。享保9年(1724)、寺名を松平隼人氏知行所、山縣郡洞田村喜左衛門先祖が取立てた大亀寺の古跡を譲り受けて再建を志したが、享保16年示寂。玄洞和尚の意志は弟子の碩淳和尚に引き継がれ30余年、自ら土を荷び石を積み、良田を購入し什具を整え、ここに寺観を呈することとなった。
 開創当寺建てられた桜門は、法林寺村中村の集落を覆い隠したと伝えられる1本の欅の木で建てられ、その三の枝から作られたと言われる径2尺の木臼が残されている。当寺の面影は本堂と楼門のみで、現在の庫裡等は濃尾震災後に建てられたものである。鐘楼は明治26年に造られ、時の鐘(午前10時)として慕われていたが、昭和17年国に供出された。平成元年、町内会の人達が発起人となり、旧文殊村の人々の浄財により再鋳され、再び時の鐘(朝6時30分)として甦ることとなった。
 現在、文殊菩薩像は本巣町の有形重要文化財に指定され、本堂裏の樅の木(幹廻り4m)も重要文化財に指定されている。

【現 況】
 町内には本願寺門徒が多いが、町内物故者・老友会の法要は当寺で行われ、除夜の鐘には町内の人たちのお手伝いもあり、多くの参詣者で
にぎわっている。

【交 通】
 樽見鉄道 美濃本巣下車徒歩10分