【由 緒】
尾張藩の付家老竹腰正武侯は元和元年(1615)以来、今尾3万石の領主として美濃国安八郡今尾周辺を領していたが、飛地として志津野村に1,245石も所領していた。
その飛地として志津野村に開創されたのが経常山正武寺である。寺の由緒によると往古より経常洞菖蒲澗という草庵があって、それを名主佐藤林八郎という者が延享元年(1744)に領主の許可を得て再興したことに始まる。
そこで林八郎は永平寺へも願い出、時の住持41世円月江寂禅師(現42世)を勧請することになった。
これに対して永平寺より高祖大師の尊影から開山の寿影、法衣、開山の憲章、さらには聯額まで揮毫され授与されている。
その後明和9年(1772)6月、46世(現47世)天海董元禅師代に法地起立が成っている。
一方、領主正武侯もこの地を愛され度々尋ねられたようだ。開基侯の行状記『故今尾侯義忠府君行状』によると、武芸に通暁し、尾張藩主の信頼厚く今尾郷3万石を世襲し、従五位下山城守に任じられている。宝暦9年(1759)12月73才で没し、正武寺に葬られた。その墓地は現在関市文化財(史跡)に指定されている。
また、開基侯の奥方正子夫人も当寺に葬られその墓前の二樹のさざんかは樹齢250年を関市天然記念物に指定され、毎年11月〜12月に見事な花を咲かせている。
【現 況】
天然記念物の「さざんか」は2樹とも高さ10メートル、幹周1.6メートルとさざんかとしては大変大木で、毎年咲かせる薄ピンクの花は満開の桜と見紛うばかりに見事で、多くの人々が見物に訪れる。
【交 通】
岐阜バス金山線金山行小牧口下車徒歩40分