【由 緒】
平安時代の前期(9世紀)に当正家地内には法隆寺風の五重の塔を中心とする立派な伽藍の真言宗寺院が有ったが、久しからずして落雷により消失した。仏像経巻は難を逃れ近くの「般若院」に移され、その後村人の管理するところとなった。
霜雪を経て、正保3年天祐龍公和尚により観音堂として再建され、当時高徳の誉れ高き徳外玄隆和尚を正保4年2月請して開山となし禅宗寺院となった。
本尊には、西行法師の住した竹林庵より恵心僧都作と伝えられる聖観世音菩薩を迎えた。開山没後、寺格が下がり平僧地となるが、彭仙和尚の代に法地再興を発願し、本寺10世密門良重和尚を迎え法地再興をなした。享保年間に伊豆三島より手書き大般若経巻と不動尊を迎え国土安穏万民和楽の祈祷を行ったところ霊験著しく、世人の信仰を集めた。12世代(大正〜昭和戦中時代)には霊験を求め十方より信男信女が毎日多数参詣し、諸堂伽藍の整備がなされ山容大いに改まった。
【現 況】
毎年
1月7日 厄除け星祭祈祷
3月28日 不動明王祭典
8月24日 水子地蔵祭典
10月18日 ボケ封じ白寿観音祭
以上主立った行事に厄除身体健全・家内安全・虫封じ・交通安全・水子供養・人形供養・痴呆消除等の祈祷・供養が行われる。