應永26年(1419年)、桂広国和尚が天先祖命禅師を招請して草創開山となし、自らは開基となり師資の頭字を取りて天桂寺と名づけた。
曹洞宗に属して守保山と号し、小牧山三ツ淵、正眼寺の末寺である。
後年平僧地となり衰微したが、承應3年(1654年)雪嶺印経和尚が正眼21世蘆州英萩禅師を再興法地第1世として招請した。現本堂が昭和3年23世全巖玉光和尚に再建された。
天桂寺には秋葉殿があり、三尺坊大権現が祀られている。
寺伝によると、永禄11年(1568年)下之郷に大火があり民家のほとんどが焼失したが、当時、織田信長の家臣 森可成が下之郷に住んでいて類焼の厄にあった。そこで信長は遠州秋葉御分身七本松三尺坊大士の御神体を勧請し、焼土復興につくさせたという。
近年では、あらたに墓地も増苑し、それに加え、鴛鴦観音、馬頭観音が建立され、鳥供養・動物供養のため、毎月17日に鳥供養・動物供養会がとりおこなわれている。